改革の主役は「市職員」
改革の主役は市民・・・であるのは間違いありませんが、現実に市民が解決すべき課題を発見したとしても、それを解決するためには市職員の力が必要不可欠です。
たとえば、私が、一市民として、盛岡市子ども科学館の利用料は子どもが有料で高齢者が無料なのはおかしいとか、展示内容が古すぎるので新しくしてほしいとか(これは実際に市民の提案箱にありました)意見したとしても、このような意見をどのように取り扱うかは、重要案件でない限り市職員の裁量次第である、というのが現状です。
一応、行政手続法上、処分等の求め(同法36条の3)として、市民が自治体に対し、法的に作為を求めることはできますが、この場合でも、自治体が作為を行わなければならないのは、「必要と認めるとき」に限られ、この手続きからも、直接には作為義務は生じません。また、一議員が、子ども科学館のことについて質問したとしても、やはり質問にすぎない以上、プレッシャーを与えることはできても、作為義務までは課すことができません。
最終的には、トップである市長が命令を下せば、作為義務は当然生じます。しかし、市職員も人間です。その命令に合理性があれば、市職員も従うかもしれませんが、非合理なものであれば、だんだんと面従腹背となっていき、市長は裸の王様になります。
さらに、命令によって行動を起こすことと、主体的に行動を起こすことでは、職員のモチベーションが全く異なります。子ども科学館の改革が、命令によるものだったとすれば、単なる展示品の入れ替えで終わるかもしれませんが、やる気のある市職員にかかると、子どもたちの意見を聞くワークショップの開催、民間活力を生かした展示、各種助成金の活用、市民による人気投票・・・など様々な可能性が生まれます。改革を行うには、その始まりは市民の意見等ではありますが、この改革を具体化し、実現するためには、職員の主体的な行動が必要不可欠なのです。
では、職員が主体的に行動を起こすために、どのようなことが必要でしょうか。そこで必要となるのが、首長と議員の「身を切る改革」です。市職員の立場になってみてください。ほかの仕事でも精一杯な時に、自分の給料の2倍3倍の報酬をもらっている人から、子ども科学館の展示が古いから改革せよと言われても、なかなかやる気がわきません。しかし、首長や議員が、子ども政策、科学館の重要性や可能性を真剣に説き、さらには自らの報酬も職員並みに下げて、職員の力に期待を込めれば、職員のやる気も違ってくるはずです。
ちょっと横道にそれますが、職員のやる気に期待をせず、議員が自ら改革を行おうとしたのが民主党政権でした。公務員給与を削減したり、事業仕分けをしたりしましたが、結局大きな成果は出せませんでした。行政は、極めて広く複雑な分野なので、議員の頑張りだけでは手に負えないのです。職員の力を引き出すために、身を切る改革を行い、その結果として職員が創意工夫を行い、改革が実現されたのが大阪です。盛岡城跡公園、木伏緑地などで行われているPark-PFIも、もともとは大阪城公園の改革を試みた大阪市職員の発案から生まれた制度です。このような身を切る改革が、盛岡市でも必要と考えます。
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