子どもの幸せ

「佐藤さんって、どうしてお迎え早いんですか?」

保育園に子どもを預かってもらっていた頃、先生によく言われていた。別に、お迎えに行く時間が3時とかというのではなく、普通に5時過ぎくらいだったが、それでも早い方だったのかもしれない。


仕事が終わったら、すぐ子どもの迎えに向かった。早くお迎えに行くと、子どもが「お迎え来た!」と言って、それまでの遊びを終了し、大喜びで帰り支度をするのが嬉しかった。これは、子どもを喜ばせたいから早くお迎えに行きたい、というよりも、遅いお迎えになって、子どもに寂しい思いをさせたくなかった、という方が正しい。


子どもの身になって考えてみてほしい。それまで遊んでいたお友達にお迎えが来て、1人帰り2人帰り、だんだん遊ぶお友達も少なくなってきて、最後まで一緒に遊んでいたお友達にもお迎えが来て、自分だけ1人になってしまった時。保育園の先生は、こんな時に子どもに寂しい思いをさせないように、「特別のおもちゃ」を出してくれたりするようだが、子どもは心の中で「まだお迎え来ないのかなあ・・・」と思っているのかもしれない。いや、思っていないのかもしれないけど。


保育園に子どもを預けることができず、「日本死ね」とどなたかが言ってから、保育の拡充施策が全国で進められ、働くために必要があれば、子どもを保育園に預けられないということはほぼなくなった。他方、保育園にずっと預けられる子どもの気持ちを、大人は考えたことがあるだろうか? もちろん、大人が働くことは必要であり、子どもにとっても保育園でお友達と遊べたり、先生から学んだりという社会的経験ができる。ただ、子どもにとっては、おうち時間が安らぎの時間のはずだし、土台となる環境だと思う。要は、子どもを預け過ぎるのはよくない、バランスが大事だ、と思う。


「岩手県子どもの生活実態調査報告書」によると、子どもが幸福感を感じている家庭に共通するのは、「家族の団らんや会話が多い」ことだという。他方、保護者が必要と考える支援は「経済的支援」がトップだが、実は、子どもの幸福感と、家庭の経済的充実は、あまり相関性がない。実際、おうちにそんなにお金がなくても、家族みんなで笑いながらご飯が食べられれば、おかずが少なくても美味しいご飯になるのかもしれない。要は「何を食べるか」ではなく、「誰と食べるか」なのだ。


いま一度、なんのための子育て支援なのかを考えたい。それは、「子どもの幸せ」であるはずである。


保護者に経済的に余裕があれば、家族の団らんのために早く帰ることができるようになるかもしれないし、家庭に笑いも増えるかもしれない、だから経済的支援が必要とも考えられる。しかし、それはあくまで子どもの幸せを取り囲む環境づくりにすぎない。子どもの幸せなくして、子育て支援や少子化対策はありえない。「何を食べるか」ではなく、「誰と食べるか」のように、どのようなことが子どもの幸せのために必要かを考えていきたい。


そういう自分自身が理想的な親か、といえば全く全然そんなことはなく、身につまされることばかりですが、少なくとも給食費の無償化よりは、子どもたちの幸せの方が優先順位は高いのです。



*文中の保育園には、認定こども園及び預かり保育のある幼稚園を含みます。